BS-TBS 9864
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>>431
それもあると思うけどw
戦国時代も安土桃山時代も知らない子供達の方が
御三家としての心構えを仕込みやすいと思ったんだろうね >>469
江戸城って初期の三代で
三回建て直してるんだろ? >>500
けど三回建て直して結局天守閣は建て直すのを諦めたのか… 伊達政宗のカッコいいところって
はっきり言って名前だけだよな 残念ながら羅山は呼ばれませんでした
まぁ、文官の長みたいな立場だから、行政のほうにはかかわれなくても当たり前だね 真田信之は病気がちだったけど93歳まで生きたんだよな
隠居したいのに幕府を支えてくれと言われて91歳まで隠居できなかった 島津、毛利、山内、鍋島「 誰だよそんなことするやつ」 なんだこのものすごくどーしょーもないトンデモ説は・・・ >>508
先代が建てたのをつぶして、
新しいのを建てたんだよ 膵臓癌
うちの婆ちゃんがそれで死んでるから自分もその血引いてるのよね ワイのばあちゃんがよく言ってたけど
鯛を食べたときに骨を飲んでしまって
黄門に刺さって大変だったとか
すげー嘘っぽいけどw 茶屋四郎次郎って長いけど
名前はまだ続くんだよなw
初代が清延
まあ正式名は中島だが >>512
その頃には天守は無用の長物
予算は江戸の復興と町民の救済に回した 鯛の食べ方、おいしそう
『徳川実録』によれば、鷹狩のため田中城に滞在中の家康を京の豪商・茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう=3代目の茶屋清次)が訪問。
家康は信頼する茶屋四郎次郎に「昨今京で話題の話」を尋ねます。
茶屋四郎次郎は、京で評判になっている新しい料理法として「鯛を榧(かや)の油で揚げ、その上に薤(おおにら、らっきょう)をすりかけて食べるのが美味いと評判に」と紹介します。
家康は久能城代・榊原照久からたまたま届けられていた鯛を調理するよう命じます。
家康は日頃の節制を忘れ大鯛2枚・甘鯛(興津鯛)3枚を食して腹痛にたいそう苦しみます。 >>544
ガンは男系男子女系女子に遺伝するんやで >>557
生のニラ、らっきょう?
胃が痛くなるな >>552
昭和から平成の頃死んだ人たちって
60年代ぐらいの有害物質のせいで死んでるんじゃないかとか思っちゃう
因果関係を調べようがないから何も言われないだけで 城に行ってやたらハリボテの天守に登りたがる人間多いよなあ 天ぷら食べたくなった
でも天ぷら屋に行くと
あっこいつ歴史鑑定見てきやがったキモ
というような視点を周りから浴びそうなので止めるか >>557
すりおろしらっきょうを掛けた鯛の天ぷらみたいな感じでいいのかな >>575
この後浪費してるだけだもんな3、4、5って >>558
伊達政宗の子孫が「政宗は眼帯してなかった」って言ってたぞ(´・ω・`) >>575
おかげさまで日光は観光都市になりました 毛利家、正月の定例行事の話が好きやわ…
殿、徳川追討、今年はいかがしましょうか? >>559
なお他の祖父母の死因は動脈硬化とクモ膜下と老衰 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています