BS朝日 3199
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英語でセリフ言ってるのを自分で日本語で吹き替えてるの
全然合わない >>98
その頃の教授はカラダも良い
筋肉体操に出られそうなカラダ >>102
今は韓国に筒抜けという有様
どうしてこうなった 坂本家
父 は 河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次などを担当した坂本一亀。
母・敬子は帽子デザイナーで銀座の宝石商に勤務。
母方の祖父下村彌一は実業家で共保生命取締役、東亜国内航空会長などをつとめ、第五高等学校と京大とで池田勇人と同級で生涯の親友として付き合い、池田首相の葬儀に友人代表として弔辞を読んだという。
母方の叔父(母の弟)下村由一は歴史学者で、千葉大学名誉教授。 すぐ閉じるとインクが反対側に付いちゃうよ(´・ω・`) 浅野忠信とか本人が吹き替えしてるのに棒なのなんなんだろう
元から棒だから? >>64
おおありがとう
見たのもいくつかあるなー 今の署名のシーンで、全然印象に残らなかった一曲だけで
アカデミー音楽賞もらえたコン・スー なんで、清みたいな大きな国が日本なんかと関わってこんな事になるんだ
他にも国があっただろ 教授の甘粕は最低な男
山口淑子リコーランを愛人に、満州でやりたい放題 >>134
大島渚曰く芝居させ面白いのは
1に素人
2に芸人
みたいな言葉を言ってるよな >>140
オスマントルコもイランもフルボッコにされました >>127
三大
・キリヤマイズム
・ジャイアニズム
・ >>122
浅野忠信の演技を上手いと思ったことないわセリフも何言ってるかわかんないし
雰囲気だけじゃない?好きだけど 坂本龍一は努力型の人なんだよな
作曲や編曲はいっぱい勉強して努力でなんとかなったけど
歌や演技は天賦の才でどうにもならなかったんだな
作曲も理詰めで作り込んでいく自分に比べて
スタジオで鼻歌でいい曲作っちゃう高橋幸宏にいつも嫉妬してたって言ってたな >>140
もうちょっと歴史の勉強をした方が・・・ >>146
だよな
浅野忠信って所詮モデルの人だよね
顔作って写真になってるうちはミステリアスでカッコイイけど
喋って動くと全然だよなあ 満州事変以降日本政府や大本営の意向を無視して動くことの多かった関東軍が過度に介入する形での満洲国の運営、さらに関東軍主導で実権を伴わない形での溥儀の皇帝就任に対しては、
日本国内の有識者、特にアジア諸国の植民地支配からの独立を目指すアジア主義者や右翼からの反発が強かった。
一例として、当時の日本の政界に強い影響力を持っていたアジア主義者の巨頭で玄洋社の総帥、かつ亡命中に支援を行うなど蒋介石との関係が深かった頭山満は、
満州事変から満洲国の建国に至る関東軍の暴走と、それに対する日本政府のあいまいな対応に強い憂慮と怒りを示していた。
満洲国において溥儀と関東軍との関係はこの様な状況ではあったものの、日満友好を促進する狙いと、満洲国並びに溥儀の威信を国内外に高めることを目的として、
1935年4月に溥儀が昭和天皇の招待により日本を国賓として公式訪問することに決定した。なおこれは溥儀にとって初の外国訪問となった。
公式訪問時には満州海軍艦は使用せず、日本側が大日本帝国海軍の練習戦艦「比叡」を御召艦として提供した。大連港より4月6日の早朝に横浜港に到着した溥儀は、東京駅まで専用列車で向かった。
東京駅に溥儀一行が到着した際には、両国の深い関係を表すように、昭和天皇自らが東京駅のホームまで溥儀を迎えに行くという、日本の歴史上無い異例の歓待を行なった。 >>140
中国への野心がある日本と追い出されて復興したい溥儀との利害が一致したんだろうな 小林よしのりのゴーマニズム宣言で
満州にいった兵士の中には逆にいいもの食べて肥えて帰ってきたって書かれてたな >>102
ふぎでさえトイレでしか心休まる場所なかったし…… 八甲田山のシネマコンサートなんか見に行く奴の気が知れないが
ラストエンペラーのシネマコンサートなら行ってみたいぞ >>158
だよなあ太ってた時なんか木村祐一と見分けがつかなかった >>163
満州は物資潤沢だからな。
昭和20年になって日本が困窮してても食料はたっぷりあった。
ただ終戦時のロシア侵攻で地獄になるけどな >>177
なんで今更八甲田なのかね?
自然災害多いからかね 弟は亡くなる数年前に我が家に来たことがある
あと三船敏郎も >>189
あれは判らねえ
あんな重苦しい息がつまるようなの嫌だなあ これみると、日本人がキライになる
この虐殺の映像は
シンガポールのサントーサ島、戦争博物館へ行くと
1日中、館内に流れてるよ
見て驚いた!ぜんぜん知らなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています