ナンシー・クルーザン事件

 一九八三年一月十一日の夜、ナンシー・クルーザンは走行中に運転を誤って車を横転させ、車外に放り出されて、溝にうつ伏せにはまりこんだ。
事故の十数分後に救急車が到着したときには心臓は止まり呼吸もしていなかったが、蘇生術を施したところ、心拍と呼吸が回復した。
その後、ただちに病院に運ばれたが、酸欠状態の影響で脳に障害を起こしていた。三週間経っても昏睡から回復しないので、
胃に直接水分と栄養を送り込むためのチューブを取り付ける手術を、夫(後に離婚)に許可を得て行なった。
しかし、その後も回復の徴候はなく、遷延性植物状態患者としてミズーリ州立病院に収容されることになった。
一九八六年に社会保険が切れた後はミズーリ州が医療費(年間約十三万ドル)を全額負担している。 

 共同後見人である両親は、ナンシーを尊厳死させるために、病院に対して胃チューブの除去を求めたが拒否され、
そこで両親はミズーリ州を相手に、除去の承認を求める裁判を起こした。