>>456
大昔阪神でもあった

1977年4月29日、川崎球場での対大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)第3回戦、
阪神が7-6とリードした9回裏1死1塁、左翼手の佐野は、
大洋の清水透が打った大飛球をフェンスに激突しながらも好捕したが、
コンクリートが剥き出しだった当時の川崎球場のフェンスで頭部を強打したために、
ボールを捕球したままうずくまり、そのまま気を失った。
頭蓋骨陥没骨折だった。

佐野の状態がただならぬこと(白目をむいたまま口から血の泡を吹いて痙攣していたとのこと)を察知した左翼線審の田中俊幸は
捕球を確認してアウトを宣告し、担架を要請した。

中堅手・池辺巌も外野から同様の合図をしたため(重傷者が出たのだから当然ボールデッドになるものと思っていた)、
阪神の選手・コーチが佐野に駆け寄った。その間に、内野に残った一塁走者の野口善男がベンチの指示を受けタッチアップ、
場内が騒然とする中をほぼ全力で駆け抜けて本塁に生還した。