https://news.yahoo.co.jp/articles/948dad5f0c471d3831eb92e3c69a3482288dabfa

これまでなら「分かった」と投手コーチの進言を受け入れていたという矢野監督だがこの試合はそうではなかった。「これはマズイ」と思った金村氏はチーム宿舎に戻った後「井上ヘッド(当時)の部屋に行き『監督のこと横で見ていてどう思いますか』と聞いた。井上ヘッドも『ヤバいな…。心配だよ』と。それで僕は『どうですか。継投に関しては僕に投げて(任せて)くれませんか』とお願いしたんです。僕としても監督が辞任するのなら、自分も責任をとって辞めるつもりだった。投手陣の能力は素晴らしい。だからこそ僕は彼らを上手いこと運用してあげたかった」

 金村氏の捨て身の〝直訴〟を聞き入れた井上ヘッドは、その夜のうちに矢野監督の部屋を訪れ深夜まで説得。以降、ブルペン陣の運営は金村氏に託されることになったという。この日から阪神の投手陣は劇的に息を吹き返し、翌22日のヤクルト戦(神宮)からは「21試合連続で3失点以下」というプロ野球記録も樹立。チームも最終的にはAクラスの3位にまで浮上し矢野政権ラストイヤーを飾った。