前スレで大船渡の佐々木の事を書いた人に知って欲しいのは

準々決勝 久慈戦 2番手3番手が継投で登板(佐々木完全回避)
準決勝 一関工戦 佐々木129球(3回には4-0で、8回に追加点で5-0) ここでリリーフ登板せず
決勝  花巻東戦 岩手大会初登板の4番手投手が登板

監督 「投げられる状態ではあったかもしれないが、私が判断した。(理由は)故障を防ぐためです」と説明
佐々木 うつむき加減で「監督の判断なので、しようがないです。高校野球をやっていたら、試合に出たい。投げたい気持ちはありました」
2番手和田と3番手大和田も登板させなかった。二人が継投した準々決勝での「精神的な疲労の大きさ」
佐々木の野手での出場も一切考えなかった「守備機会があるとスローイングもする。その際に100%(の力が)出てしまうのが怖い」


佐々木は中学の大坂桐蔭などの誘いを蹴って大船渡で甲子園に行くを選んだ。
酷使を避けたいなら、決勝の花巻東ではなく準決勝回避や中盤でリリーフすれば良かった。