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1988年の阪神タイガース

チームが1985年の優勝時のメンバーに頼りすぎ世代交代などの抜本的な改革ができないまま、前年の最下位を招いたため村山新監督が就任。
村山監督は就任後、「少年隊トリオ」と呼ばれた和田豊、大野久、中野佐資をはじめとする若手選手を積極的に起用した。

結果、和田が遊撃手としてレギュラーに定着し、最多犠打を記録。大野、中野も一定の成績を収めた。
しかし6月、三冠王に2回輝き、1985年の日本一に貢献したランディ・バースが退団し、
代わりに獲得したルパート・ジョーンズも肩のケガで満足な成績を残すことが出来ないなど、打撃力の低下に歯止めがかからなかった。
投手陣は2年目のマット・キーオがエースの活躍を見せ1985年のV戦士・仲田幸司、池田親興も先発ローテーションを守ったが、
打線の援護にとぼしくいずれも勝ち越すことが出来なかった。6月を境にチーム順位は下降し、オールスターゲーム以降は最下位に定着してしまった。
開幕からフルイニング出場の掛布雅之は7月12日の対広島戦を最後に登録抹消され、シーズン終了後に33歳の若さで引退した。