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在日韓国人2世として京都で生まれる。
1960年に韓国へ渡り1961年に本格派左腕として実業団チームの大韓民国交通部へ入団。
飛躍の決定的な土台作りになったのはテスト生として参加した同年の南海ホークスが行ったキャンプで、
鶴岡一人監督以下、黄金期の南海選手たちや、松葉徳三郎からトレーニング法を学んだ。

韓国で実業団野球の投手[4]として活躍後、KBO7球団で監督を務め
2014年までの監督通算1234勝は韓国プロ野球史上、金応龍の1567勝(24年、1290敗68分)に次ぐ歴代2位の記録である。
通称は、野球の神様という意味を持つ「野神」。

日本名は金林 星根(かねばやし せいこん)。