野村克也と沙知代の経歴まとめ
・二人は1970に知り合う
・その時点でお互い既婚であり、いわゆるダブル不倫
・克也はこれについて、前妻が妻業をやらない上に向こうが先に不倫してたので、1968年から別居してたと主張したが、のちに嘘と判明
・沙知代を南海のチーム運営に介入させたため、チームメイトが猛反発
・球団のフロントや職員も沙知代に対する不信感が募ったため、克也と沙知代を巨人に放出しようとするが失敗
・それを機に克也は、自分に歯向かった選手を他球団へ放出、門田(主砲)も放出しようとしたがオーナーに止められる
・沙知代の球団運営介入がさらに酷さを増し、克也がついに球団代表から最終警告を受ける
・それに困った克也は、天台宗の高僧に助言を求めるが、逆に厳しくお叱りを受ける
・そこに沙知代が乱入、高僧に罵詈雑言を投げかける。克也、それを見て咎めるどころか「よく言った」
・この一件でついに球団から追放される
・後に克也は、沙知代が球団運営に口出ししてたなどというのは全くのデマだと主張したが
沙知代の死後、やっぱり介入してたと認めた。